部活動

鉄道研究部

土曜日の放課後や休日を利用して、鉄道のイベント、鉄道会社の車両基地、車両工場、検車区などを取材しています。イベントで見学したこと、鉄道会社で取材したことを詳しくまとめ、学園祭で展示発表しています。
鉄道研究部公式HP http://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuki3309/

部活動・委員会一覧
2018-08-15

2018年8月11日(土)

ホテル東横INN彦根駅東口…彦根駅―(東海道本線)―近江八幡駅―(近江鉄道)―八日市駅―(近江鉄道)―高宮駅―(近江鉄道)―彦根駅…彦根城・玄宮園・散策…近江鉄道ミュージアム・見学…彦根駅―(東海道本線)―米原駅―(東海道本線)―大垣駅―(東海道本線)―豊橋駅―(東海道本線)―島田駅―(東海道本線)―沼津駅―(東海道本線)―横浜駅・解散

本日は、近江鉄道1dayパスを利用して、近江鉄道に乗りました。近江八幡駅から分岐駅の八日市駅や高宮駅を見物しながら乗りました。
彦根駅に戻ってから、彦根城や玄宮園を散策しました。彦根城は彦根駅近くの小高い丘の上にあり、天守閣から琵琶湖が綺麗に見渡せました。彦根城の天守閣を見学してから、玄宮園にも立ち寄りました。魚躍沼を挟んで眺める臨池閣や彦根城は趣がありました。今日も30度を超える真夏日でしたが、天守閣の中、沼や堀の周りは涼しかったです。
次に、近江鉄道ミュージアムを見学しました。近江鉄道で保存されている電気機関車や車両基地にある電車を撮影しました。資料館には、近江鉄道の記念乗車券や電車の部品が販売されていました。
近江鉄道ミュージアムを見学してから、東海道本線を乗り継いで東京へ帰りました。今回の合宿期間中に、台風が来たり、各地で集中豪雨がありましたが、偶然にも鉄道研究部は台風や集中豪雨に直撃されずに済みました。計画通りに良い合宿が出来ました。

高2B組 高神の剣凪 近江鉄道
滋賀県下で最古の私鉄である。近隣の鉄道会社やバス会社などと何度か合併を行ったほか、親会社が2度にわたり変遷しているが、社名や社紋は会社設立時から一切変更されていない。明治期に発足した私鉄のうち、創立以来社名を一度も変更せずに存続しているのは近江鉄道のほか東武鉄道と島原鉄道がある。
かつて近江鉄道の略称として「近鉄」が使われ、読み方は「きんてつ」であった。しかし、1944年の近畿日本鉄道発足後、「近鉄」は同鉄道およびそのグループ会社の略称として使われるようになり(「近畿日本鉄道社#社章・略称・ロゴについて」も参照)、近江鉄道を「近鉄」と呼ぶのは年配の近江鉄道沿線住民に限られるようになった。現在では「近鉄」に代わって「ガチャコン電車」という愛称が定着しており、比較的若い世代を中心に「ガチャ」とも略されている。「ガチャコン」は電車の走行音に由来する。
戦後一貫して西武グループの会社であることから、電車は元西武401系電車など西武鉄道の中古車両を種車とする改造車両を主力とし、バスと一部の鉄道車両には西武鉄道系列の企業らしくライオンズカラーやレオマークが施されている。また、社員が西武ライオンズ(当時)の応援にかり出されたことがある。1985年の日本シリーズで、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場では地元阪神タイガースの応援が圧倒的であり、座席の確保もままならない状況で、ライオンズファンを球場内に少しでも多くアピールするため、地理的に近い同社社員が駆けつけたものである。なお、この時の成績はライオンズの2勝1敗であった。また、シーズン中のライオンズの関西遠征に伴うバス(ライオンズカラー、レオ・マーク付)による選手送迎も行う。
近畿地方の公共交通機関が多く加盟しているスルッとKANSAIに加盟しておらず、近江鉄道の鉄道・バスの全区間でスルッとKANSAI対応カードやPiTaPa、ICOCAは利用できない(全駅にわたってICタッチセンサーなどを含む自動改札機そのものが設置されていない)。なお、大津営業所管内の一部の路線バス(大津市の瀬田地区と草津市内の一部路線)では、自社専用の「近江鉄道バスICカード」が利用可能である。ただし、主に立命館大学の利用者が使用する前提であり、バスICカードには立命館大学を表すRマークと「RITSUMEIKAN」のロゴが描かれている。
2010年3月までの旧本社社屋は彦根私立小学校だった建物(木造校舎)を使っていた。

高2D組 リョー 近江鉄道ミュージアム
近江鉄道ミュージアムは毎月一回ほど開館される鉄道資料館です。近江鉄道で活躍していた電気機関車や館内では、昔懐かしい資料、写真、鉄道部品を公開されていました。そのほかに電車の部品(つり革、ドアなど)や今まで発売していた記念切符も販売していました。

高2C組 トミー 彦根城
「彦根城」は、滋賀県彦根市金亀町にある日本の城です。この城を作ったのは「徳川四天王」のひとりといわれる「井伊直政(いいなおまさ)」の息子である「井伊直継(いいなおつぐ・後の直勝)」です。その創建された時の天守閣がそのままの姿で残っています。そういうお城は有名な「姫路城」をいれて全国でも少数しかありません。
この城を作った井伊氏は大河ドラマ『おんな城主 直虎(おんなじょうしゅ なおとら)』や幕末で有名な『桜田門外の変』で殺された大老で知られる「井伊直弼(いいなおすけ)」もそうです。
「関ヶ原の戦い」などの功績を家康に認められて、石田三成の領地だった「近江国佐和山(滋賀県彦根市)」18万石を与えられました。
それは家康が西国の見張りと、朝廷を護るために徳川最強の井伊家軍団を配置したといわれています。
それだけ直虎に対する信頼は厚かったのでしょうね。
1602年、直政は家康への長年の奉公の過労と、たぶん関ヶ原の戦いでの傷が完治することなく、戦場を駆け抜けた一生を終えました。直政が近江へ移転して来た場所は、石田三成の「佐和山城」でした。この城は「三成に過ぎたるものが2つあり、島の左近に佐和山の城」といわれるくらいの名城でしたが、直政は石田三成が大嫌いだったために、対岸の米原市に城を建て直すつもりだったそうですが、その前にお亡くなりになってしまったために、その計画はつぶれました。直政の死後、嫡男の「井伊直継」が家督を継いたのですが、まだ幼かったので家老の「木俣守勝(きまたもりかつ)」が、家康と相談して直政の「新しい城を」という遺志を継いで、1603年琵琶湖に浮かぶ「彦根山(金亀山、現在の彦根城のある場所)」に彦根城の築城を開始しました。

2018-08-10

2018年8月10日(金)

東横INN名古屋丸の内…名古屋城・散策…丸の内駅−(名市交桜通線)−名古屋駅−(名古屋鉄道)−神宮前駅・撮影−(名古屋鉄道)−堀田駅−(名市交名城線)−八事駅−(名市交鶴舞線)−赤池駅…レトロでんしゃ館・見学…名古屋市交通局日進工場・取材…赤池駅−(名市交鶴舞線)−伏見駅−(名市交東山線)−名古屋駅−(近鉄名古屋線)−桑名駅・撮影−(養老鉄道)−大垣駅―(東海道本線)―米原駅―(東海道本線)―彦根駅…ホテル東横INN彦根駅東口・宿泊

折角名古屋に来たので、朝にホテルの近くにある名古屋城を見物しました。その後、名古屋鉄道の神宮前駅で、名古屋鉄道を撮影しました。次に名古屋鉄道、名古屋市営地下鉄を乗り継ぎ、赤池駅近くにあるレトロ・電車館へ行きました。名古屋市電や名古屋市営地下鉄の各車両が展示されています。レトロ・電車館で名古屋の市電や地下鉄について学んだ後、レトロ・市電保存館に隣接してある日進工場を取材しました。日清工場は、名古屋市営地下鉄鶴舞線・桜通線の全般検査・重要部検査・月検査・列車検査・臨時検査・改造工事を行っています。
東山線と名城線・名港線は、軌間は広軌、集電方式は第三軌条方式、電圧は直流600Vです。鶴舞線・桜通線・上飯田線は、軌間は狭軌、集電方式は架空線式、電圧は1500Vです。初期に建設された東山線、名城線はトンネルのコンパクト化のために第三軌条方式、第三軌条方式を採用するために広軌とされました。鶴舞線や上飯田線は名古屋鉄道と相互乗り入れをするために狭軌、架空線式となりました。
名古屋市の人口は270万人です。名古屋市営地下鉄の1日利用客は131万、名古屋市営バスの1日利用客は34万人で1日に名古屋市の総人口の7割が利用しています。1日で市営地下鉄全列車で19万km、市バスは全車両あわせて10万kmを走っています。市営地下鉄のタイヤは1枚16万円でおよそ16年間使用します。名城線は世界で8番目に誕生した地下鉄の環状線です。部員たちは、名古屋市営地下鉄の概要と日進工場の施設と役割について熱心に取材をしました。後日、取材内容を詳しくまとめ、9月29日(土)・30日(日)に開催される日学祭にて展示発表をします。
日進工場を見学した後、名古屋駅へ戻り、近鉄電車に乗り、桑名駅へ行きました。桑名駅より、濃尾平野の景色を眺めながら養老鉄道に乗りました。石津駅近くでは、天井川になっている揖斐川の支流をトンネルで潜りました。
今日の取材では、名古屋市交通局の方に、名古屋市営地下鉄の概要と日進工場の役割について詳しく案内していただき、大変勉強になりました。

高2C組 ベッカムP
名古屋鉄道は東海銀行(現:三菱UFJ銀行)・中部電力・東邦瓦斯(東邦ガス)・松坂屋(現:大丸松坂屋百貨店)と共に名古屋経済界の中核名門企業、旧「名古屋五摂家」の1社に数えられ、中部地方を中心に数多くの不動産を所有する企業であり、これらの「開発事業」も経営の重要な柱となっている。レジャー・流通産業など関連事業を中心に多角的な企業展開を行っており、連結決算の対象・非対象併せて200社以上のグループ企業がある。
コーポレート・スローガンは「ココロをつなぐ、あしたへはこぶ。」

高2B組 高神の剣凪 名古屋市営地下鉄
名古屋市営地下鉄は、名古屋市交通局が運営する地下鉄である。現在は6路線で、営業中で守山区を除く名古屋市15区と日進市に路線を持ち営業キロ数は93.3km、駅数は67駅、車両数は788両を数える。一日あたりの乗車人員は約129万人。なお、名古屋市の例規上の正式名は、名古屋市高速度鉄道である。
名古屋市による市営地下鉄の建設計画は、人口が100万人を突破した1936(昭和11)年に発表されたものが最初である。この計画によれば、以下の7路線約52kmを2期に渡って建設する予定であった。この計画は、地下線での計画を基本にしながら、田端 - 市役所や桜山 - 柴田などでは高架線での建設も予定されていた。その後、1937(昭和12)年に名古屋駅が笹島から現在の位置に移転すると、1938(昭和13)年6月、その跡地に関西急行鉄道の名古屋乗り入れにあたって地下に関急名古屋駅(現:近鉄名古屋駅)が建設され、名古屋で初の地下線による鉄道が開業した。
日中戦争の長期化により、名古屋市の財政が悪化する一方で、軍需産業都市としての発展もあり、1939(昭和14)年に臨時名古屋市並近郊交通調査会が発足し、地下鉄計画を再検討した結果、以下の基本4路線約29kmが発表された。この基本計画のほかに将来計画として大規模な地下鉄整備計画も発表されており、実際にボーリング調査の準備まで行われたものの、第二次世界大戦開戦の影響により、具体的な着工までは至らなかった。
戦後になるとまず、1946(昭和21)年1月、高速鉄道網検討用基礎案として以下の4路線約43kmが立案された。これは、戦災復興のため将来人口を200万人と想定した都市計画として立案されたため、鉄道着工よりも鉄道用地を先行確保するのが主目的の計画であった。この計画では、平田橋、上飯田、守山、八事などで既存の鉄道との相互乗り入れが重視されていたため、現在の地下鉄路線とはかなり違う経路を通っているものが多い。
1950(昭和25)年1月19日には建設省告示第9号でこれらのうち約48.4kmが名古屋復興都市計画高速度鉄道路線網として都市計画決定された。この都市計画決定は、日本国有鉄道(国鉄)名古屋駅0番ホームを借り受け、そこに地下鉄を乗り入れ、栄生まで延長し名鉄名古屋本線と相互直通運転をする計画のほか、名古屋市、名鉄、近鉄の三者の協定により、新川橋、八田、大曽根、水分橋でも相互直通運転をすることが予定されていた。
その後、建設資金分担や国鉄ホームの使用を巡る問題などにより、上記計画は頓挫した。名古屋市は独自に相互直通を前提とせずに地下鉄を建設することになり、第三軌条方式を採用し、すでに免許を取っていた名古屋 - 田代間及び市役所裏 - 金山間の早期開業を図った。1954(昭和29)年8月には名古屋 - 栄町間について着工し、1961(昭和31)年には名古屋市電下之一色線での試作車による運行テストを開始した。
1957(昭和32)年11月15日常、名古屋市営の最初の地下鉄として、名古屋 - 栄町(現:栄)間2.4kmが開業した。当初の料金は名古屋 - 栄町間で大人15円・小児8円の均一制。名古屋市内の1世帯に1枚ずつ試乗券が配布されるようになった。

高2D組 リョー レトロでんしゃ館(名古屋市 市電・地下鉄保存館)
名古屋市を走っていた市電の代表的な車両(1400型、2000型、3000型)3両と、昭和32年の地下鉄開業当時に名古屋・栄町間を走った100形車両の2両とその台車が展示されており、展示車両は実際に車内に入って見学することができます。
保存されている地下鉄100形や市電2000型は乗ることができ、さらにイスに座ることもできます。地下鉄100形のイスはふかふかで1度座ったら動きたくなくなるほどの座り心地の良さでした。鉄道模型ジオラマでは、1部の車両は自分で運転することができ、楽しんで運転している様子を見ることが出来ました。

高2C組 トミー 日進工場
工場では「全般検査」、「重要部検査」、「月検査」、「列車検査」、「臨時検査」、「改造工事」が行われる。修車工場では主に「全般検査」と「重要部検査」を行なっている。
「全般検査」は8年を超えない期間ごとに、車両の主要な部分を取り外して、徹底的にオーバーホールを行なう最高の検査
「重要部検査」は4年または走行距離が60万kmを超えない期間のいずれか短い期間ごとに、車両の主要部分を解体して行う検査
検査の工程は入場→分離→組成→総合検査→試運転→出場となっている
入場 工場に電車が入場する。
分離 電車を一両づつに分け、クレーンを使って台車と車体に分ける。
組成 それぞれの部品や装置の点検整備が終了すると組成です。台車に車体を乗せ、空気配管や電気連結栓などをつなぎ電車として完成させる。
総合検査 組成が終わった電車に電源を入れ、各装置が間違いなく接続されているかなどを総合的に試験する。この試験はコンピュータや人の目、耳、手で確認されている。
試運転 総合検査が終了した電車を実際に走行させて加速度、減速度が定められた値に合っているか、また異常な音や、発熱が、ないかなどを確認する。試運転はATOが導入されている少ない回数で済むそうです。
出場 各種試験に合格すると、営業運転に使用されます。

高2B組 高神の剣凪 名古屋市交通局日進工場
日進工場は,鶴舞線の終点,赤池駅の先に設けられた車両基地です。
鶴舞線車両の150両のみならず,桜通線車両の120両のメンテナンスも一手に引き受けます.
名古屋市のはずれに位置する,交通局最大規模の工場です。
地下鉄鶴舞線の終点の先,地上に出た場所にある日進工場です.住所は名古屋市東部の日進市に位置します.
昭和53年10月の鶴舞線八事駅〜赤池駅延伸開業に先立ち,4月1日に開設されました.
鶴舞線唯一の車両基地であり,鶴舞線車両150両の全ての保守管理を担っています.これに加え,修車設備を持たない桜通線車両120両の重検査も行っています.
工場設備や列検設備はもちろん,20m車8両組成に対応する広大な留置線群を持ち,敷地面積では東山線の藤が丘工場を抜いて一番の広さを誇ります.
赤池駅を出発した名鉄豊田線列車は,敷地の中央を高架線で横断するため,車内から車両基地が一望出来ます.
また同じ敷地内に「レトロでんしゃ館」があります。

高2C組 ベッカムP 養老鉄道株式会社
岐阜県西部・三重県北部を走る養老線を運営する鉄道会社である。近鉄グループホールディングス傘下の鉄道事業会社である近畿日本鉄道(近鉄)の子会社で、2007年(平成19年)10月1日付けで近鉄から養老線の運営を引き継いでいる。社紋は親会社近畿日本鉄道の社紋の中央に「 Y 」の文字を入れたものになっている。

2018-08-09

2018年8月9日(木)

横浜駅―(東海道本線)―熱海駅―(東海道本線)―沼津駅―(東海道本線)―興津駅―(東海道本線)―浜松駅―(東海道本線)―豊橋駅―(東海道本線)―名古屋駅―(あおなみ線)―金城ふ頭駅…リニア・鉄道館・見学…金城ふ頭駅―(あおなみ線)―名古屋駅―(名古屋市営地下鉄桜通線)―丸の内駅…ホテル東横INN丸の内・宿泊

本日より夏期合宿に出かけました。台風13号が関東地方に接近していたので、予定より集合時間を遅らせて、横浜駅を出発しました。台風13号の進路が最初の予報より東にそれ、朝の天気が思ったほど荒れずに、皆無事に横浜駅に集合できました。今回も青春18きっぷを使い、在来線を乗り継いで目的地を目指しました。東海道本線に乗り、熱海へ向かって走り出すと、小田原を越えた辺りから、すっかり天気が良くなりました。いつもより遅い時間に出発したためか、電車が凄くすいていて、横浜駅から名古屋駅まで、天竜川や浜名湖などの景色を眺めながらゆったりと座って行けました。
午後に名古屋港にあるリニア・鉄道館に着きました。新幹線、在来線各車両、名古屋駅などをモチーフにした鉄道ジオラマ、東海道本線の歴史などの展示を見学しました。部員たちは、夏休みの課題の1つに博物館などの見学レポートがあるので、いつもより真剣に展示を見ていました。
リニア・鉄道館を見学した後、あおなみ線に乗り、名古屋港の景色を眺めながら、名古屋のホテルに行きました。本日のレポートを書き、明日の見学に備えて早めに夕食を食べ、休息しました。

高2C組 トミー リニア・鉄道館
リニア・鉄道館は2011年にオープンしました。39両の実物車両が様々な場所から集められて展示されています。車両の中も入ることができ今は使われていない車両も見られてとても良かったです。実際に使われていた踏切や旧名古屋駅にあった大時計などもありました。見るだけではなく新幹線の切符の発行や改札機を通る体験、リニアモーターカーの500kmを体感できる体験乗車などがありました。

高2C組 ベッカムP リニア博物館 感想
リニアまでの歴史や乗る体験ができたり、珍しい体験ができて楽しかったし勉強にもなりました。

2018-07-30

2018年7月29日(日)

ワークショップコレクション。鉄道研究部も大勢の小学生・中学生を招き、部活動体験を実施出来ました。次回、9月29日(土)・30日(日)、学園祭にて1年間の活動について展示をします。

中1B 藤川球児 22
今日のワークショップコレクションは高3の先輩方がマーク模試で不在の為人数が不足している状態でした。
前回よりも多忙でした。大変だったのですが大勢の子供達や保護者の方々に楽しんで頂き良かったです。
台風12号が接近していて天気が心配でしたが、開催出来て良かったです。
高2D sprite
今日のワークショップコレクションは高3の先輩がいなかったため人手が足り準備や片付けがいつもより時間かかりました。しかし、いつまでも先輩に頼る訳にもいかないので部員を集めることが必要だと感じました。
高2D 鳶沢みさき
本日のワークショップコレクションでは、自由にまわれることもあり、いつも以上に人が来てとても大変でした。
けれども、その分大勢の方々に楽しんでもらえたなら、良かったと思います(笑)
前日まで台風が接近していて開催されるのか心配でしたが、無事通過して晴れて助かりました(汗)
さて、次回の展示は文化祭になります。
またいつも通り模型や活動模造紙の展示を行う予定なので、是非遊びに来て下さい〜。

2018-07-28

2018年7月28日(土)

明日は、ワークショップコレクション、小学生・中学生を招いて、日本学園の授業や部活動を体験していただく日。鉄道研究部も、部活動体験会場を設営し、多くの小学生・中学生を招く予定。が、台風12号が関東地方接近と言うことで、本日日本学園は16時完全下校。12時30分、夏期講習、午前授業が終わってから、鉄研部員が次々に1号館1階にある教室に集結しました。今まで、何度かオープンキャンパスにて鉄研会場を設営してきたので、おおよその手順は察しが付いています。皆で16時までに破竹の勢いで鉄研会場を設営しました。明日は台風が過ぎ去り、ワークショップコレクションを予定通り開催出来そうです。鉄道研究部員一同、小学生・中学生の皆さんを、教室いっぱいに広げた線路に電車を並べてお待ちしております。

2018-06-10

2018年6月10日(日)

本日、日本学園中学校オープンキャンパスが開催されました。大勢の小学生を招いて、日本学園中学校の授業や部活動を体験してもらいました。鉄道研究部も、部活体験コーナーを設営しました。事前予約の他に、当日に鉄道研究部の部活動体験を希望する小学生が大勢いました。鉄研部員総出で対応しました。
オープンキャンパスが終わってから、部員たちは教室いっぱいに広げた鉄道模型を走らせて遊びました。台風が近づき段々雲行きが怪しくなってきたので、ひとしきり遊んでから、「今度は、ワークショップコレクションで。」と言うことで、ぴゅーっと片付けて、解散しました。
高2D組 corset
本日鉄道研究部では恒例の、高難度鉄道クイズ、Nゲージ運転体験、模造紙の展示を行いました。
まず、クイズでは毎回問題の半分ほどわかる知識のある子がいるのですが、今回も知識のある子がいて、そこまで知識のない僕はとても凄いなぁ…と思いました。
Nゲージ運転体験では、運転中みんな自分の運転している電車を目で追っていて楽しんでもらえたみたいでよかったです。
ただ、今回いつもに比べて脱線が多く、対応が大変でした(汗)
鉄道研究部では、長期休み時に合宿に行ったり、文化祭やオープンキャンパスで展示を行ったりする部活で部員同士の中も良く楽しい部活です。なので、是非入学して、鉄道研究部に入部して下さい!
中1B組 リョー
今日は初めてのオープンキャンパスでした。線路をつなげるのに大変苦労しました。当日は思っていた以上に大変で、すぐに疲れてしまいました。でも、鉄道研究部で楽しんでくれていたので、頑張って良かったと思いました。けど、脱線がかなり多かったです。
中1B組 フジ
今日は初めてのオープンキャンパスでした。最初の線路をつなげるところが一番大変でしたし、最初は鉄道知識のある子が来るのかまったくない子が来るのかも知りませんでした。いざ始まってみると、鉄道知識のある子が沢山いて鉄道クイズではほとんどの子が正解していて「凄いな」と思いました。ただ、脱線が多かったです。(汗)

2018-06-09

2018年6月9日(土)

明日、日本学園にてオープンキャンパスが開催されます。小学生を招いて、日本学園の授業や部活動を体験していただきます。鉄道研究部も、特別教室を預かり部活動体験コーナーを設営しました。会場の真ん中に鉄道模型運転コーナーを設け、教室の壁や窓には、昨年度の学園祭で作った、1年間の活動をまとめた模造紙を貼りめぐらしました。今日は放課後に漢字検定試験がありました。検定試験が終わってから、部員達が、次々に鉄研会場に集結しました。いつもより遅い準備のスタートとなりましたが、夕方には卒業生も駆けつけ、何とか部活動体験コーナーを設営出来ました。
高3B組 ハヤト
いつもの大きな鉄道模型のレイアウトを広げて、部員一同お待ちしています。是非今回、鉄道研究部で楽しんで、日本学園の鉄道研究部に入部して下さい。
高3C組 ヨッスィー
いよいよ明日はオープンキャンパスです! 鉄道研究部では活動の写真を展示したり、鉄道模型を用意して皆さんをお待ちしております!どうぞ日本学園を、鉄道研究部をよろしくお願い致します!

2018-03-26

JR四国と高松琴平電気鉄道 2018年3月25日(日)

ホテル・松山駅―(予讃線)―観音寺駅―(予讃線)―多度津駅―(土讃線)―琴平駅…電鉄琴平駅―(琴平電鉄)―仏生山駅・見学―(琴平電鉄)―高松築港駅…高松駅―(予讃線・瀬戸大橋線・宇野線)―岡山駅―(山陽本線)―姫路駅―(山陽本線・東海道本線新快速)―米原駅―(東海道本線)―大垣駅―(ムーンライトながら)―豊橋駅

本日は、予讃線、土讃線の普通電車を乗り継いで、松山から琴平へ行きました。予讃線の線路や駅がよく整備されていて、単線で列車の交換などがあっても、凄くスピーディーに観音寺駅や多度津駅まで行きました。途中、石鎚山登山の下車駅となている伊予西条駅に25分程停車しました。四国鉄道文化館があり、ホームから大きなカラス窓越しに中に保存されているDF50が良く見えました。駅に隣接する鉄道歴史パーク in SAIJOでは、子どもたちを乗せて小さい汽車を走らせるイベントが開かれていました。部員たちは、25分の間に素早く走り回り、伊予西条駅を通過する8600系や鉄道歴史パークの様子を撮影しました。8600系は、2014年6月に特急「いしづち103号」と「いしづち104号」として高松 - 松山間に投入された特急電車です。JR琴平駅から少し歩いて、琴電琴平駅へ行きました。金刀比羅宮へのお客さんで賑わっていました。ことでんに乗り、仏生山駅へ行きました。仏生山駅は、琴平線と以前走っていた塩江線の分岐駅です。今は、大きな車両基地があり、仏生山駅のホームから沢山のことでん車両が撮影できます。部員たちは、懐かしい元阪神、京浜急行、京王電鉄の車両を撮影しました。仏生山駅から少し離れた引き込み線には、レトロ電車もありました。レトロ電車は、イベント以外でも、休日には運行されているそうです。
仏生山駅の車両基地を見学してから、ことでんに乗り、高松築港駅へ行きました。高松築港駅は、ことでんが高松城跡のお堀に沿って走り、高松城跡の入り口の真ん前にあります。高松築港駅から高松港を右手に眺めながらJR高松駅へ歩きました。高松駅の駅舎は、2001年に建設された4代目の駅舎で、ガラス張りの巨大な建物です。駅前の広場では、何人もがギターなどの演奏をして賑わっていました。JR高松駅は、香川県の県庁所在地である高松市の玄関口で、ことでん(高松琴平電気鉄道)の瓦町駅とともに高松市の2大ターミナル駅となっています。高松駅は、徳島・松山・高知などを結ぶ特急列車が発着する駅です。80年間、四国と本州を結ぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」の接続駅だったので、その名残で線路が全て当駅で行き止まりになる終着駅になっています。4面9線の頭端式ホームがある地上駅で高松港に隣接します。頭端式であるため、駅周辺の道路や駅前広場からホームまで一切の段差がないバリアフリー構造となっています。部員たちは、素早く讃岐うどんを食べ、高松駅を往来する列車の撮影に励みました。
高松駅から、快速「マリンライナー」に乗って、岡山駅へ向かいました。坂出駅から巨大な本四連絡橋が見えてきました。今日は天気が良くかったので、「マリンライナー」は順調に瀬戸内海を駆け抜けました。車窓から坂出港、コスモ石油の製油所、瀬戸内海の島々と船の往来が良く見渡せました。
岡山駅で山陽本線の普通電車に乗り継ぎ、姫路駅へ出ました。姫路駅から新快速電車に乗りました。新快速223系電車は、フカフカのクロスシートで、凄いスピードで一気に米原駅まで駆け抜けました。米原駅では、隣のホームに豊橋行き快速電車が待っていて、2分の接続で出発しました。お陰で、かなり余裕を持って大垣駅に到着しました。大垣駅で買い物をして、卒業していく高校3年生部員を囲み集合写真を撮りました。夜行の臨時快速「ムーンライトながら」に乗りました。部員たちは、リクライニングシートを倒し、「ムーンライトながら」がスウッと発車すると、岐阜や名古屋の夜景を眺めながら、ゆったりと寛ぎました。

高1C組 トミー 金刀比羅宮について
「こんぴらさん」の呼び名で親しまれている、香川県仲多度郡(なかたどぐん)の金刀比羅宮。その最大の特徴は、御本宮まで続く長い長い石段です。参道入口から御本宮まで石段の数は785段(奥社まで行けばなんと1368段)。登るのはもちろん大変ですが、ここには登った人たちを皆笑顔にする何かがあります。
江戸時代の人たちの憧れ「こんぴら参り」
古くから信仰の地となっていた金刀比羅宮への「こんぴら参り」が全国に広まったのは江戸時代のこと。当時は庶民が旅をすることを禁じられていたのですが、金刀比羅宮や伊勢神宮を始めとした社寺への参拝の旅は、その限りではありませんでした。金刀比羅宮も「一生に一度はお参りしたい場所」として、多くの人々の憧れのまとでした。農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など、さまざまな神徳を持つ神様として、現在も厚い信仰を集めています。
ちなみに「こんぴら」というちょっと変わった響きのある名前は、サンスクリット語の「クンビーラ」(ガンジス川に住むワニが神格化されたものを指す)が語源だと言われています。
スタート地点はJR琴平駅。赤い屋根の駅舎は、大正時代に建てられたレトロな欧風建築です。
駅を出るとすぐ正面に狛犬と灯籠が並んでいて、遠くには鳥居も立っています。神社はまだまだ先なのに、ここからもう、こんぴら参りの雰囲気があります。

高1D組 ニッシー 予讃線について
予讃線は、瀬戸内海と宇和海に沿って香川県高松市の高松駅から愛媛県松山市の松山駅を経て、愛媛県宇和島市の宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(幹線)です。このほか愛媛県内の向井原駅から内子駅までと、新谷駅から伊予大洲駅までの支線を持ちます。この2つの支線は、内子駅から新谷駅までの内子線を経由してつながっており、向井原駅 - 伊予大洲駅間を結ぶ短絡ルートを形成しています。
日本国有鉄道(国鉄)時代は予讃本線と呼ばれていましたが、民営化後の1988年にJR四国は線路改称を改正し予讃線に改称しました。瀬戸大橋の開通後、本州・四国間連絡を担う区間の一部である高松駅 - 坂出駅 - 宇多津駅間には本四備讃線・宇野線とともに「瀬戸大橋線」という愛称がついています。また、2014年3月15日から伊予市駅 - 伊予大洲駅間の海回り区間に、「愛ある伊予灘線」の愛称がついています。
四国の瀬戸内海沿いを走り、香川県の西部と愛媛県を縦貫する路線です。JR四国の路線では距離が最長です。
高松駅 - 松山駅間はJRの前身である国鉄の時代から四国の重要幹線として位置づけられ、早くから一線スルー化やRC(遠隔操作)化でスピードアップに取り組んでいました。さらに1986年、向井原駅 - 伊予大洲駅間について内子経由の新線が完成し、これまで伊予灘に面した伊予長浜経由の従来線で運転されていた特急・急行列車は、内子線を含めた内子駅経由の短絡ルートに変更され所要時間が短縮されました。民営化後も高松駅から伊予市駅までの電化による電車の投入や重軌条化、未改良だった駅構内の一線スルー化、弾性分岐器化により高速化が図られ、単線区間を運転する列車の表定速度は日本でもトップレベルです。
内子駅経由の新線の開通により、従来線でしばしば起こった台風上陸などによる運転見合わせが殆どなくなりました。2005年夏に、相当な豪雨のため、並行する松山自動車道や国道56号、長浜経由の旧線と並行する国道378号が全て不通になった時もこの路線だけは不通になりませんでした。しかし依然として八幡浜駅 - 宇和島駅間は、旧線と同じくらい険しい道のりです。2006年夏に八幡浜駅 - 双岩駅間で倒木に上り特急列車の先頭車が接触し損傷してからは、旧線が運転見合わせになった場合、ほぼそれに合わせて徐行または運転見合わせをするようになりました。
近代的な線路と裏腹に、通票閉塞時代の面影を残す駅が多いです。伊予大洲駅 - 宇和島駅間の交換駅は双岩駅、伊予石城駅以外Y字ポイントで一線スルー化されておらず、特急停車駅でない駅のホーム嵩も低く当時の様子を残しています。
JR四国は2006年に国土交通省交通政策審議会・交通体系分科会の地域公共交通部会に提出した資料で、長期的に望まれる投資として伊予市駅 - 内子駅 - 宇和島駅間の電化と高縄半島の付け根を結ぶ伊予西条駅 - 松山駅間の短絡線建設をあげています。
高松駅 - 多度津駅間はIC乗車券「SHIKOKU ICOCA」の広島・岡山・香川エリア(香川地区)に含まれているキロポストは、新線経由も内子線区間も含め高松駅からの距離の表示となっています。

中2A ショータ 高松琴平電気鉄道について
今回は、高松琴平電気鉄道について話します。
高松琴平電気鉄道通称琴電は、高松築港駅から、高松琴平駅を結ぶ路線総延長は、32.9?の鉄道です。
琴電開業前には、琴平街道沿いのルートを取る計画でしたが、仏生山を経由するルートに変わりました。
1943年11月1日に讃岐電鉄、琴平電鉄、高松電気起動が、合併し高松琴平電気鉄道が走足しました。その後、様々な改良、改造、変更等をして、最近2013年12月15日に綾川駅が開業しました。
高松琴平電気鉄道には、沢山の中古列車が走っています。まずは、600形、元名古屋市営地下鉄250形、1000系2編成4両、1070系元京浜急行電鉄600形、元京浜急行電鉄1000形(初代)、元京王電鉄5000系等の昭和の名車両が走っています。
そして、高松琴平電気鉄道のマスコットキャラクターのイルカのことちゃん)が、ラッビング電車として走っています。

高1D組 ナベ 瀬戸大橋線について
瀬戸大橋線は、瀬戸大橋を通り、岡山県岡山市北区の岡山駅と香川県高松市の高松駅とを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)と四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線の愛称です。当時の瀬戸大橋ブームも相俟って、指定席がグリーン車のみで即日完売となるなど人気が集中したことから、瀬戸大橋線開業当日には「マリンライナー」2号の続行で2本の臨時列車(1本はキハ181系で茶屋町駅まで)が運行されたほか、翌4月11日からもJR西日本持ちの115系・JR四国持ちの111系などを使用した臨時快速が岡山駅 - 宇多津駅・坂出駅・高松駅間(一部は岡山駅 - 茶屋町駅・児島駅間の普通を延長運転)に運行されました。当初、これらの列車は市販の全国版時刻表には掲載されておらず、沿線で配布された修正時刻表にのみ記載される列車でした。その後もバブル景気もあり、瀬戸大橋線の利用が好調であったことからスーパーサルーン「ゆめじ」編成のクモロ211形+モロ210形電動車ユニットも繁忙期を中心に増結に入るようになり、同年7月からは普通車にも指定席を設定するとともに、大型連休・お盆などの多客期の一部の列車は終日12両編成や11両編成で運用されました。さらにJR西日本の117系100番台(指定席あり)や115系3000番台などを使用した臨時「マリンライナー」や、167系や115系を使用した臨時快速が岡山駅 - 高松駅間に設定され、213系の増備落成にともなう増発が実施される1989年3月までの間、毎日運転の臨時列車として運行されました。臨時「マリンライナー」はその後も繁忙期に運行された時期があり、JR西日本の221系が使用されたこともありました。

臨時快速「ムーンライトながら」 2018年3月26日(月)

豊橋駅―(ムーンライトながら)―東京駅・解散

名古屋駅を発車したところで、車掌さんが指定券の確認に来ました。部員たちは、指定券を提示したら、そのままスウッと深い眠りにつきました。目が覚めると「後、5分で横浜駅に到着します。」と車内放送がかかりました。「ムーンライトながら」がピューっと走り、あっと言う間に品川駅に到着。部員たちが荷物を整理している間に、終点の東京駅に到着しました。東京駅で青春18きっぷを振り分けてから、解散しましました。松山から東京まで、在来線の普通電車や快速電車を乗り継いで東京まで戻って来ました。全列車が時刻表通りに動いたおかげで、無事予定通りの行程で東京へ帰れました。高校3年生部員は、いよいよ卒業、それぞれの進路へ進みます。全列車が時刻表通りに動くということは、鉄道会社の皆さんが任務を果たしているということ、お客さんのマナーが良いということです。これから先、そういうことを忘れずに、進学先でも、就職先でも活躍しましょう。

2018-03-25

伊予鉄道に乗って松山を散策 2018年3月24日(土)

ホテル…広島駅―(広島電鉄)―広島港―(瀬戸内海汽船)―松山観光港…高浜駅―(伊予鉄道高浜線)―古町駅・撮影―(伊予鉄道高浜線・横河原線)―横河原駅―(伊予鉄道横河原線・郡中線)―郡中港―(伊予鉄道郡中線)―松山市駅―(伊予鉄道市内線)―道後温泉駅―(伊予鉄道市内線)―JR松山駅…ホテル・宿泊

本日、鉄道研究部は、広島港から瀬戸内海汽船に乗り松山へ行きました。松山観光港行きのフェリーは、途中呉港に寄港しました。海側から呉港に停泊する船や造船施設を眺めました。倉橋島と本州の間にある音戸瀬戸でゆっくりと橋を潜りました。その後、真っすぐ松山を目指しました。沢山の船が往来していました。天気が良く、海が穏やかで、船は殆ど揺れませんでした。
松山観光港から興居島の景色を眺めながら、海沿いに伊予鉄道の高浜駅まで歩きました。高浜駅から伊予鉄道に乗り、古町駅へ行きました。古町駅は、伊予鉄道の路面電車である市内線と鉄道線である高浜線の結節点です。大きな車両基地があり、路面電車と高浜線が平面で交差します。路面電車や郊外電車が行き来する古町駅で伊予鉄道を見学しました。
古町駅を見学した後、伊予鉄道横河原線や郡中線に乗りました。松山の市街地は、なかなか広く、伊予鉄道の沿線には、マンションが点々と建ち並んでいました。伊予鉄道郊外電車の三線と市内線が集まる松山市駅は、松山市中心の繁華街にあり、伊予鉄道の利用客が凄く多いなと感じました。
鉄研部員たちは、市内線に乗り、松山市駅から道後温泉駅へ向かいました。車内は、多くのお客さんで賑わっていました。坊ちゃん列車も2編成が、松山市駅と道後温泉駅を行き来していました。坊ちゃん列車の客車を牽引する蒸気機関は、車体自体にジャッキアップ装置が付いていて、松山市駅と道後温泉駅で転車出来る様になっていました。
道後温泉駅からお土産物店が立ち並ぶアーケード街を10分ほど歩くと、道後温泉の浴場に着きました。凄い数のお客さんで、大盛況となっていました。
部員たちは、伊予鉄道の1Dayパスを利用して、松山の町を散策しました。

高1D組 リョー 松山について
松山市は、愛媛県のほぼ中央にある松山平野に位置しています。
松山市の気候は温暖な瀬戸内海気候で、年平均気温16.5度です。年間降水量は約1300mmで、6月に多く12月に少ない夏雨型となっています。全体に降水量は少なめで、積雪もごく少量、台風の通過も太平洋側の高知県や徳島県に比べれば少なく、穏やかで恵まれた気候条件です。
松山市は、北西部の瀬戸内海に浮かぶ中島から高縄山系のすそ野の平野を経て、重信川と石手川により形成された松山平野へと広がっています。
松山市は、明治6年愛媛県庁が設置され、県都となり、明治22年12月15日市制を施行以来、政治・経済の中心都市として成長し、また、俳人正岡子規をはじめ、多くの文人を輩出するなど地方文化の拠点としての役割を果たしてきました。昭和20年、市街地の大部分を戦災により焼失しましたが、今日では総合的な都市機能を備え、平成12年4月には中核市へと移行し、平成17年1月には北条市・中島町と合併し四国初の50万都市となりました。

高3B組 コーチ 伊予鉄郊外線について
伊予鉄郊外線には3路線あり高浜〜松山市までが高浜線、松山市〜横河原までが横河原線、松山市〜郡中港までが郡中線である。
高浜線は全線600Vでラッシュ時最大4両編成の列車が走ります。終点の高浜港から松山観光港まで延伸計画あるが、現在は連絡バスが運行しています。ちなみに高浜駅は映画「真夏の方程式」で波瑠ヶ浦駅として登場しました。
横河原線は全線700Vでほとんどの列車が高浜線に直通運転しています。
郡中線は郡中港まで伸びる全線700Vの路線でかつては貨物扱いもしていました。かつては伊予立花駅からぶんきする森松線もありました。椿祭の開催日は臨時列車が出るほど賑わっていましたが普段は空気輸送状態でした。
車両は現在700系、610系、3000系の3種類がいます。
700系は110系、120系の置き換えのために導入された、元京王5000系で京王重機整備で改造のうえ3両編成7本、2両編成2本が在籍しています。足回りはモハ710形とモハ720形の内5両は東武2000系足回りで残りの3両は小田急2220形の足回りをつかっています。クハ760形は車軸交換してやり過ごしました。
朝ラッシュ時は3両で走りラッシュ後松山市で切り離し1両で小町の車庫まで回送します。
現在3両編成9両が廃車されそのうち2両が伊予鉄に譲渡されました。
610形は久々の自社発注車で2両編成2本が在籍います。ボディーは東武20000系に準じたアルナ工機製のステンレス車体で足回りは東武2000系のものを採用しています。足回りは700形と同一なので併結運転できると思いますがサービス機器が異なるためその様な運用はされていません。
3000系は800系と700系の一部を置き換えるために導入された車両で京王時代にすでに更新工事を施工いた編成が譲渡の対象でした。3両編成10本が導入されました。京王時代は界磁チョッパ制御でしたが譲渡される際にIGBT素子のVVVFインバータ制御に交換されています。ちなみに京王3000系の中間車も譲渡されたのは伊予鉄だけです。かつては800系や600系なども在籍していました。
800系は同時期に廃車になった初代1000系の台車や主制御などを取り付け軌間変更に対応した。そしてこれが京王重機整備による中古車両改造・譲渡の第1号です。
入線時はモハ-サハ-モハでしたが運用の効率化のためサハの高浜・郡中港よりに京王5000系に準じた運転台を京王重機整備の出張工事で実施されました。これやなより片側のモハを外して2両編成で走ることができるようになりました。2010年にさよなら運転を行いその内4両が千葉県の銚子電鉄に譲渡されました。
600形は高浜線開業70周年記念に高浜線専用車として2両編成1本が導入されました。その後輸送力増強のため、路線の地下化に伴う車両交換のため余剰になっていた長野電鉄モハ1102を改造しモハ603として3両編成になりました。
この時、高浜よりのモハ602を中間車に改造されています。ちなみに高浜線のホームは低かったので導入時はステップがついていましたがホームの嵩上げに伴い撤去されました。
その後は横河原線でも運用できるようになりましたが、高性能車でありながら非冷房であり末期は電気部品の不調が相次ぎ次第にニートレインなり610系に置き換えられるかたちで引退しました。引退後はモハ603は解体され残ったモハ601とモハ602は小町の車庫で倉庫として放置されていました。一時は保存計画もありましたが残念ながら3000系導入伴う車庫内の線路確保のために解体されてしまいまいた。時代に振り回され人知れず消えてった車両でした。
このように京王色強い車両が沢山いる伊予鉄です愛媛に来た際は是非乗ってください。
また引退した800形や700形に乗りたい方は銚子電鉄も合わせてご利用ください。

高2C組 ヨッスィー 伊予鉄道 松山市内線について
伊予鉄道松山市内線とは、松山市内を走る城北線(古町〜平和通一丁目)、城南線(道後温泉〜大街道〜西堀端)、城南線連絡支線(平和通一丁目〜上一万)、本町線(本町一丁目〜本町六丁目)、大手町線(古町〜JR松山〜西堀端)、花園線(松山市駅〜南堀端)の5路線1支線からなる。
※城北線は道後鉄道として開業したので免許上は鉄道線、他線は軌道線である。
市内線には系統が1〜6(4は欠番)の5系統からなる。
1系統は緑の幕で、松山市駅から花園線を通り、南堀端電停から城南線、西堀端電停から大手町線、上一万電停から城北線、平和通一丁目電停から連絡線を経由、そのまま上一万電停から城南線、花園線を通り松山市駅に戻る環状線である。
2系統はオレンジの幕で、松山市駅から1系統と反対方向に松山市→南堀端→大街道→上一万→平和通1→古町→JR松山→西堀端→南堀端→松山市、という環状線である。
3系統は赤の幕で、松山市駅から花園線、南堀端電停から終点の道後温泉電停まで城南線を通る系統である。
5系統は青の幕で、JR松山駅前電停から大手町線、西堀端電停から城南線を経て道後温泉に至る系統である。
6系統は黒の幕で、松山市駅から花園線、南堀端から本町線を通り、本町六丁目まで至る。基本的に運転間隔は10分、6系統のみ40分間隔である。
軌間は1067mmで、花園線以外の各線はそれぞれ改軌を経験しており、城北線は762mm→1067mm、その他路線は1435mm→1067mmという経緯をたどっている。
電化方式は全線架空電車線方式の600Vである。
大手町線には延伸計画があり、JR松山駅の高架化の後、JR松山駅の下に駅を設け、そこから南江戸の国道196号線までの700mを延伸するという計画である。またこの計画は、松山空港乗り入れ計画を見据えたものされている。
また、本町線を国道196号線沿いに山越・鴨川地区への延伸をする構想も存在している。
市内線の現有車両について
モハ50形
自社発注車(51〜78)
自社発注車は51〜69はナニワ工機(現アルナ車両)、70〜78は帝國車両工業で製造された。51〜61の前期形と後期形の62〜78に分類され、以下の7形態に分類できる。
前期形
前期形は51〜55は京都市電800形の866〜880号車を設計ベースに、56以降は広電500形を設計ベースに製造された。1979年に京都市電2600形の廃車発生品を購入し、直接制御から間接非自動制御に改造され、主電動機も50kwのものに取り替えられた。
51〜53 1951年製のボギー車、製造当初の集電装置はポールであったが、1953年にビューゲル、1966年にZパンタに交換されている。また、客用扉は前後端であったが、1969年に前中扉に改められた。
54,55 1953年製でビューゲル装備で前後端扉だったが、51〜53と同様にZパンタ化、前中扉化されている。
56〜58 1954年製でビューゲル装備の前中扉仕様で、側面窓がいわゆるバス窓となっている。
59〜61 1957年製で防音防振台車、ビューゲル、バス窓を装備。前面窓の中央窓が左右に比べてやや横幅の広いものになっている。
後期形
前面窓が鉄道線600系と同デザインに変更され、軽量構造を採用している。また、製造時から間接非自動制御、Zパンタ、50kw電動機を装備している。
62〜64 1960年製、当時のバス車体で主流のモノコック構造を取り入れた軽量車体で、側面にリベットとリブがある。
また、このグループは前扉が二枚引き戸である。
65〜69 1962年製で、前扉が一枚引き戸のほかは62〜64と同構造である。
70〜78 1964年に70〜73が、1965年に74〜78が製造された。
65〜69 とほぼどうこうぞうであるが、リベット・リブが無くなった。台車はコイルバネ台車を履いていたが、保守に手が掛かるため、1974年に名古屋市電1550系の廃車発生品に交換されている。
他社からの譲受車
1001〜1003 1959年製で、元呉市電。1967年の呉市電廃止前に譲渡を受けた。車体は62〜64とほぼ同型である。
81 1963年製で、南海電鉄和歌山軌道線の321形324号車で、1971年に譲渡を受けたが、使い勝手の悪さから1987年に冷房化されることなく廃車されている。現在、他社からの譲受車はすべて引退しており、1001号車のみ呉市電仕様に復元され、呉ポートピアパークに保存されている。また、自社発注車は51〜55・57〜59・61・66・68〜78の21両が現在も活躍している。
モハ2000形 モハ2000形は元京都市電2000形であり、1964〜65年にかけて2001〜2006の6両がナニワ工機で製造され、そのうち保存車になった2001を除く2002〜2006の5両が1979年に伊予鉄道に譲渡されている。伊予鉄道譲渡にあたっては台車枠をそのままに車輪のバックゲージを1435mmから1067mmに改軌し、主電動機の交換やワンマン化などモハ50形に準じた仕様に改造を受け、1979〜80年にかけて竣工した。また、1982年に冷房化された。設計ベースが51〜61号車と同じ京都市電800形であり、また51〜61号車が間接非自動制御化されたため、実質同型車として運用されている。
モハ2100形 モハ2100形は2002年に営業運転を開始した車両で、アルナ工機(現アルナ車両)によって2002〜2005年までに毎年2両ずつ、2006・2007年に1両が導入され、2101〜2110の計10両が活躍している。
モハ5000形 モハ5000形は2017年に5001,5002の2両がアルナ車両にて製造された。今後も増備をしていく方針である。
坊っちゃん列車 2001年より復元運転を開始した車両で、ディーゼル機関車と客車1〜2両を一編成としたものが2編成在籍する。第1編成はD1形1号車+ハ1形1号車,2号車の3両編成で、第2編成はD2形14号車と+ハ31形31号車の2両編成である。第1,第2編成共に新潟鐵工所製であり、D1形は甲1形をD2形は甲5形をモデルとしている。レプリカの蒸気機関車での運行が行われていた時期もあったのだが、市街地を走るためばい煙を排出しないディーゼル方式を採用し、ドラフト音はスピーカーから、煙突からは水蒸気が出るといった工夫がなされている。客車の屋根にはトロリーコンタクターを作動させるためのダミーのビューゲルが搭載されており、トロリーコンタクター付近のみ上昇させる。また、機関車を先頭にするように機回しをする必要があるが、スペースがないため軌道モーターカーと同じ油圧ジャッキによる方向転換装置が内蔵されており、入換時にはジャッキで機関車を持ち上げ、人力で方向転換をするという手法を採っている。運用時間外では、どちらかの編成が道後温泉駅前に留置され、観光客の記念撮影場所になっており、他方の編成は古町の車両基地で留置されている。
また、伊予鉄道は郊外線や市内線だけでなくバス事業も展開しており、伊予鉄バスと伊予鉄南予バスでかなり広い範囲を運行している。伊予鉄バス・伊予鉄南予バスでは、モノコックボデーの曰野K―RL321(1980年式)の国内唯一の動態保存車や、Pー規制の初代レインボーPJ(PーRJ172BA)、ブルーリボンHT(PーHT233BA)などの全国的にも希少な車種が現存(2018年3月現在)しており、レトロなバスに乗ることができる。
このように工夫を凝らした坊っちゃん列車や、さまざまな車両を運用する伊予鉄道に1度乗りに来てはいかがだろうか。
Pー規制のバスの撮影はお早めに。

2018-03-23

ムーンライトながらに乗って 2018年3月22日(金)

東京駅―(ムーンライトながら)―小田原駅

本日、南大沢文化会館主ホールにて、第24回定期演奏会が行われました。3月10日(土)に第126回卒業式が行われました。今日の定期演奏会は、高校3年生部員が現役部員として演奏する最後の演奏会です。寸劇を交えながら、「バビロンの川のほとりで」や「星に願いを」などを演奏しました。硬式野球部より花束が贈られました。「公式戦で応援の演奏を有難う。」とのこと。吹奏楽部の部長より、「前の大会では神宮球場まで連れて行ってもらいました。今度は甲子園まで連れて行って下さい。」とのこと。演奏会が佳境に入ると、吹奏楽部員たちから、引退していく3年生部員たちへ花束が贈られました。演奏会が終わってから、3年生部員を囲んで集合写真を撮りました。毎年、3月下旬に吹奏楽部の定期演奏会が行われます。定期演奏会が終わると、3年生が巣立ち、新年度が始まるんだなと実感します。ちなみに私と吹奏楽部顧問の土居先生は、同期に採用されました。ついこの間、出会った感じなのですが、あれから25年たったんだな。日がたつのは早い。
定期演奏会が終わってから、京王線・中央線を乗り継ぎ、東京駅へ行きました。本日は、鉄道研究部春期合宿の出発日です。夜に東京駅に集合し、夜行列車に乗って鉄道旅行へ行くのです。こちらも高校3年生部員と部活動をするのは最後です。皆で臨時快速「ムーンライトながら」に乗りました。夜行列車は、部員たちを乗せ、東海道本線を、西へ、西へと走って行きました。部員たちは、東京や横浜の夜景を眺めながら、眠りにつきました。

東海道本線・山陽本線を乗り継ぎ広島県呉市へ 2018年3月23日(土)

小田原駅―(ムーンライトながら)―大垣駅―(東海道本線)―米原駅―西明石駅―姫路駅―相生駅―岡山駅―福山駅―糸崎駅―(山陽本線)―海田市駅―(呉線)―呉駅…呉市海事歴史資料館・見学…呉駅―(呉線)―広島駅…ホテル・宿泊

目が覚めると、もう岡崎まで来ていました。名古屋鉄道と並走しながら名古屋を通過する頃までは真っ暗でしたが、金華山を眺めながら岐阜を通過する頃に夜明けとなりました。大垣駅から何回も乗換を繰り返しながら広島を目指しました。いい加減に飽きるだろうと思いましたが、阪急電車や山陽電車、明石海峡大橋や因島の景色を眺めながら乗っていたら、飽きることもなく呉まで行けました。
呉市海事歴史資料館を見学しました。呉は、戦前に軍港、海軍工廠の町として栄えました。呉の歴史と造船に関する展示を見学しました。部員たちは、乗り物や工場であれば、何にでも興味がわくようでした。今日はずいぶんと長い時間、電車に乗り続けたので、ホテルに入ってから、明日の打ち合わせをし、疲れを癒すためにすぐに寝ました。

高2B組 タクヤ 呉線の電車について
快速 安芸路ライナー 呉駅 - 広島駅間にて快速運転を行う列車として、朝には快速「通勤ライナー」が、その他の時間帯(概ね午前9時以降)には快速「安芸路ライナー」が運転されています。普通列車との所要時間差は15〜20分程度。「通勤ライナー」は主に227系(1本のみ113系)が用いられます。「安芸路ライナー」の愛称は、1997年2月7日から現在の「通勤ライナー」に該当する列車も含め使用しています。当初は広島支社発行の無料の時刻表のみ愛称が併記され、全国版の時刻表には併記されていなかったです。
普通 三原駅 - 広駅間では、日中は1時間に1本程度、105系電車を用いてワンマン運転がされています。朝夕は113系、115系、227系電車も運用されます。広駅 - 広島駅間では、日中は1時間あたり1〜2本程度運転されています。車両は主に113系・115系・227系電車が使用されています。
臨時列車「瀬戸内マリンビュー」 2005年に広島県の大型観光キャンペーンにより、3〜8月の土曜休日中心に「スーパーサルーンゆめじ」で快速「瀬戸内おさんぽ号」が運転されました。その後同年10月1日からキハ47系気動車の改造車を使用し、観光列車として快速「瀬戸内マリンビュー」が運転されています。なお、「瀬戸内マリンビュー」はNHK大河ドラマ「平清盛」の放送に合わせて2012年1月7日から「清盛マリンビュー」として運転されていました。2013年1月14日で「清盛マリンビュー」としての運転は終了し、同月19日から「瀬戸内マリンビュー」に戻されています。

高3A組 リン 呉市海事博物館について
大和ミュージアムは、2005年に開館した施設で、展示されている兵器、資料を通して平和の大切さを認識し、また科学技術の素晴らしさも認識してもらう、というのがこのミュージアムのコンセプトです。現在はジャパンマリンユナイテッドの造船所や海上自衛隊の泊地になり、護衛艦かがやひゅうがが停泊している所が、かつては大和を作ったドックがあったり榛名、伊勢、日向のような戦艦が停泊して対空戦闘を行った呉港が真後ろにあるので、終戦から73年を経てここまで変わったのか…という感慨を覚えます。
ここでは日露戦争頃から太平洋戦争までの戦史や戦後にかけての造船技術の発達についてなどに関連した資料の展示や、映像の放映がされています。高速戦艦金剛のボイラーや零式艦上戦闘機(通称零戦)の特攻に合わせ250キロ爆弾を懸架可能にした六二型、人間魚雷回天、特殊潜航艇海龍、戦艦陸奥の主砲や錨などの今では残っていない貴重な武器や装備があります。また、その名に冠しているように旧日本海軍の戦艦大和の10分の1の超大型の模型もあります。
ちなみに向かい側には海上自衛隊呉資料館があり、外には現在は退役した潜水艦が展示されています。